「職業安定広報」2006年月号より

水木貴広さんは、大学を卒業して地方公務員となりますが、その後飴細工師としての道を歩みます。
当初は飴細工を仕事にするつもりはありませんでしたが、やがて「これこそ自分の仕事」と思えるようになりました。
飴細工の面白さを語る水木さんの言葉は、それを仕事にできたうれしさに満ちています。


飴細工師
水木貴広氏

PROFILE
昭和46年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、伊豆七島の新島の教育委員会で地方公務員として働く。その後、大阪に住む飴細工師に弟子入りし、半年間修行を積む。弟子入り当初は飴細工を仕事にするつもりはなかったが、現在、飴細工師として全国を飛び回り、各種イベントや国際会議のレセプションでその技を披露している。
水木さんのホームページ「昔なつかしい飴細工」
URL:http://www.amezaiku.com/

 

 

 

 

指物師に作ってもらった仕事箱。飴細工に必要な道具一式が入っている。左側の上段引き出しには飴が、下段引き出しにはそれを温める豆炭が入っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飴細工に使う和はさみ。多くのはさみの中から自分の手になじむものを選び出しただけに、愛着も強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛用の和はさみを使い、飴が固まらないうちに手際よく細工を施す。

●地方公務員から飴細工師へ

かつて伊豆七島の一つ新島で公務員として働いていらっしゃったそうですね。

水木 ええ。私は学生時代からサーフィンが大好きでした。できれば自分の好きなサーフィンをしながら暮らせないかと思い、どこかの島で仕事がないかと、片っ端から電話で問い合わせをしました。その中で、新島の村役場で職員を募集していることを知ったのです。私は東京生まれですが、都会で暮らす人々の出身地は様々です。しかし、島ではほとんどの人がそこで生まれ、一生を送る。自分も島民の一人となり、公務員としてその地の人々のために仕事をして人生を送るのも意味のあることではないか…当時はそんなふうに考えていましたね。

公務員時代にはどんなお仕事をされていらっしゃったのですか。

水木 私は村役場に地方公務員として採用され、教育委員会に所属していました。1年目は校長先生や教頭先生との連絡、教員住宅の管理、イベントの開催などを担当しました。2年目には社会教育係として、新島村博物館の創設にかかわりました。この博物館の2階には、サーフィンの草創期から歴史を追ってサーフボードが展示されています。私の趣味が生かされたと思うと、うれしかったですね。

その後、飴細工師になられるまでの経緯を教えていただけますか。

水木 新島には2年あまり暮らしました。その後、東京に戻りベンチャー企業の仕事を手伝っていました。そのころ、新島と同じ新島村に属する式根島の観光協会からの誘いがあり、しばらくの間、また島で暮らしました。あるとき、子供向けのテレビ番組を見ていたら、飴細工師が登場し、見事な手さばきで丸い玉から動物を作る姿が映し出されていました。私はその見事さに圧倒され、飴細工に強く魅かれ、自分でもやってみたいと思うようになったのです。この飴細工師は後に私の師匠となるのですが、大阪に住んでいました。私は飴細工とはどんなものなのか、ちょっと様子を見てくるつもりでその方を訪ねたのですが、そのまま弟子入りし、師匠の家の近くの長屋に住みながら半年あまり修行を積みました。

ずいぶんと大胆な行動をされたのですね。それだけ「飴細工をやりたい」という思いが強かったのでしょうね。

水木 弟子入りしたころは、飴細工を仕事にしようなどとは考えてもいませんでした。とにかく自分で飴細工ができるようになりたい、それだけの思いでしたね。それだけ飴細工に強く魅かれたということでしょうか。

●やけどが絶えなかった修行時代

修行時代にはどんなご苦労がありましたか。

水木 細工をする飴は大変熱いために、最初の1カ月は指先のやけどが絶えませんでした。やけどをしては冷やす、この繰り返しです。やがてコツを覚え、やけどの回数も少なくなりました。要するに飴に触れる時間が短くても、細工ができるようになったわけです。また練った飴を丸い玉にして棒の先につけるのも、大変難しいです。きちんと丸い玉になっていないと、その後の細工でちゃんとした形が作れないのです。この2つのハードルを越えても、細工自体も難しい。師匠の手さばきを見よう見まねで、数え切れないほど鳥や動物を作りましたね。修行の半年間を過ぎた後は東京に戻りましたが、度々師匠を訪ね、その都度新しい作品の作り方を覚えました。

飴細工師として最初の仕事は、どんなものでしたか。

水木 あるとき師匠から「自分は忙しいから、代わりに行ってみないか」と声がかかりました。驚きましたが、何とか師匠の代役を務めて、お金をいただいたのが最初の仕事でした。

飴細工師という職業は安定した収入を得ることが難しいのではと思うのですが…。

水木 飴細工師の仕事で生活できないかといえば、がんばり次第でそんなことはないと思います。ただ私の場合は、この仕事一本で生活のすべてを賄おうとは考えていません。飴細工師としての仕事のかたわら、IT関係の企業やパン工房で働いています。時期によって飴細工以外の仕事の割合が大きくなることもありますし、その逆の場合もあります。

いずれにしても、飴細工師という仕事は、今の水木さんにとって大きなウェイトを占めているのは間違いないでしょう。飴細工をご自分の仕事にしようと思われるようになったのには何かきっかけがあったのでしょうか。

水木 一つはホームページを作って、修行時代につけていた日記を掲載したことですね。それをご覧になった方からの飴細工の依頼がありました。また、インターネットの検索エンジンで「飴細工」というキーワードで検索すると、私のホームページが上位にランクされるようになったことも、この仕事を続けていこうという気持ちを後押ししてくれました。何といっても大きいのは、テレビや新聞・雑誌で取り上げていただいたことです。その反響は大きく、方々から仕事が舞い込むようになりました。

●本当に面白い飴細工の仕事

飴細工師という仕事の面白さややりがいはどんなところにありますか。

水木 飴細工には様々な面白さがあります。細工の過程では大道芸的な見せ物としての面白さがあるし、動物や鳥の形になった飴は鑑賞用にもなるし、食べることもできる。おみやげにもできますし、長期間の保存もできます。お客様にとって、様々な楽しみ方があるわけです。飴細工は、子供から年配の方まで年代を問わず喜んでいただけるんですよ。自分はこんなに面白い仕事をしているんだという実感がありますね。「こんなに面白いことを、みんなはどうしてやらないのか」と思うほど、本当に面白いんです。また、このままだと消滅してしまうかもしれない伝統の技を受け継いでいることに、誇りとやりがいを感じますね。

国内はもとより、アメリカに行かれて飴細工の技を披露されたそうですね。

水木 はい。アメリカにはある裕福な家庭のお嬢さんの誕生パーティに招かれて行きました。そのときは飴細工師ならぬ「キャンディマン」と名乗り、大変好評でした。国内各地のお祭りや様々なイベントのほか、国際会議などのレセプションで飴細工をすることもあります。飴細工は、言葉の違いなど全く障害にならず、国籍に関係なく多くの方々に喜んでいただける仕事だと実感しています。

お仕事の大変さや厳しさはどんなところにありますか。

水木 飴というのは大変重いものです。新品のスーツケースに飴を入れたら、あまりの重さに取っ手がこわれてしまったこともあります。その重いものを運ぶので、現場に着いて準備をし、細工に取り掛かろうと思ったら筋肉が疲労して思うようにできなかったこともあります。また、多くの作品を一度に作ったときも筋肉が疲れ、夕飯のときに割り箸を割れなかったこともありました。
また、手際よく作業をしないと、飴が固まってしまうので時間との勝負でもあります。飴を丸くして棒につけて、作品を作り上げるまで30秒から1分程度ですね。

●子供たちの思いに応えるためにも決して手抜きはしない

お仕事ではどんなことに心がけていらっしゃいますか。

水木 飴の価格は1つあたり300円から500円程度ですが、小さい子供にとっては大きな金額です。子供たちは、そのお金をお小遣いの中から工面し私が細工した飴を買ってくれる。その子供たちの思いに応えるためにも、決して手抜きはできないと思っています。いただくお金はほとんどが硬貨なため、ずっしりと重い。それは硬貨の重さだけではなく、子供たちをはじめお客様の思いが集積されたものでもある。銀行に振り込まれた給与では、決してこのようなことを感じることはなかったでしょう。

水木さんが作る飴細工には、鳥や動物、アニメのキャラクターなど多くの種類がありますね。

水木 子供たちに喜んでもらうためにも、流行しているキャラクターを加えていきたいと思っています。新しいキャラクターはきちんと作ることができるようになるまで練習を重ねます。またその年の干支を作ることも多いのですが、たくさん作っているうちに工夫すべき所がわかるようになり、より効率的にできるようになります。

●自分の好きなことに突き進もう

近年、自分がどのような仕事に向いているかわからないという若者が増えているようです。水木さんはサーフィンをしながら暮らしたいと、新島で公務員としての仕事を見つけました。その後、飴細工師となるわけですが、ちょっと他にはないようなご経歴だと思います。そのようなご自分の歩みを踏まえ、現在の若者に対するアドバイスをいただけますか。

水木 私も大学卒業前後のことを振り返ると、現在の若者とそれほど遠い距離にあったわけではありません。私自身、サーフィンに明け暮れながら自分は何をしたらいいのか思いあぐねていました。就職活動のためにスーツ代として親から借りたお金で「ウェットスーツ」を買ってしまったこともあります。前にも申し上げたように、私は飴細工を仕事にしようと思って始めたわけではありません。とにかく飴細工がやりたくて仕方がなかったのです。やがてこれを自分の仕事だと思えるようになりました。今ではこの飴細工と出会えたことをとてもラッキーだったと思っています。そんな自分の経験から若い人たちに言えることは、好きなこと、おもしろいことに出会ったらそれに突き進んでみようということです。その中で、私が飴細工に出会ったように、「自分の仕事」が見つかるかもしれません。途中で自分に向いていないと思ったら、方向転換してもかまわないのですから…。

 
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