「職業安定広報」2008月号より

松野さんは日本におけるレスキューロボットの研究・開発のパイオニアの1人です。
以前は宇宙空間でのロボットの制御技術を研究していましたが、阪神・淡路大震災で教え子を失い、
レスキューロボットの開発に取り組むことを決意します。
その後、様々なレスキューロボットを開発してきました。
またロボットにとどまらず、総合的なレスキューシステムの構築にも情熱を傾けています。
松野研究室のホームページ(URL:http://www.hi.mce.uec.ac.jp/matsuno-lab/)。松野さんたちがこれまで開発してきたレスキューロボットの特色を知ることができる。


電気通信大学教授
松野文俊氏

PROFILE
昭和32年、愛知県生まれ。大阪大学大学院卒業後、神戸大学講師を経て助教授に就任。平成7年阪神・淡路大震災で教え子である競基弘(きそい もとひろ)さんを失い、レスキューロボットの研究・開発に進む。その後、東京工業大学助教授を経て電気通信大学電気通信学部知能機械工学科教授。工学博士。NPO法人「国際レスキューシステム研究機構(IRS)」副会長。IEEE(電気電子学会)Robotics and Automation Society, Technical Committee on Safety, Security and Rescue RoboticsのCo-Chair。レスキューロボットの研究・開発にとどまらず、レスキュー学の構築にも尽力している。

 

 

 

 

 

 

 

 

レスキューロボットの公開想定訓練

 

 

 

 

 

 

 

 

FUMA。アーム上部に広角カメラを搭載し情報収集を行う。また車輪で走ることにより高速移動も可能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

KOHGA。ヘビのような細長い形で狭い場所や段差のある所も走行できる。先頭部分と最後尾にカメラを設置している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

KOHGA3。クローラー型で不整地などの走破性に優れている。ユニット構造で状況に応じた形態に組み替えることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松野さんは「阪神・淡路大震災の体験は自分にとってとても大きい」と語る。レスキューシステムの研究・開発に貢献した若手研究者に贈られる「競基弘賞」の創設にも尽力し、同賞委員会委員長を務める。

 

●大震災で教え子が犠牲となりレスキューロボットの研究へ

もともと宇宙空間における制御技術を研究されていらっしゃったそうですね。どんなきっかけでこのような分野に関心を持つようになられたのでしょうか。

松野 私が子どものころ、アメリカには人類を月に送るというアポロ計画がありました。そして実際にアポロ11号が月に着陸し、アームストロング船長が人類で初めて月面に足跡を残しました。そのときに彼が言った「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」という言葉はとても感動的でしたね。そんなことから宇宙に憧れを抱くようになりました。また「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などの漫画が大好きで、ロボットにも興味がありました。やがて宇宙への憧れとロボットへの興味が結びつくようになりました。つまりロボットで宇宙開発をやってみたいと考えるようになったのです。それで宇宙空間でロボットを操作するための制御技術を研究する道に進みました。

神戸大学で助教授をされていたころ、阪神・淡路大震災で先生の教え子の1人であった競基弘さんが亡くなりました。この出来事によってこれまでの方向を転換し、レスキューロボットの研究・開発に取り組まれるようになられたのですね。

松野 私は当時大阪に住んでいたので、直接には震災の被害を受けませんでした。しかし、多くの学生が被害を受け、亡くなった方も少なくありません。当時私の研究室の大学院生であった競君は、下宿先が全壊し命を失ってしまいました。とても明るく研究熱心な学生で、最初は「なぜ彼が…」という思いにとらわれ、競君の死を受け入れることができませんでした。彼のほかにも大勢の犠牲者がおり、大震災の被害に立ち会いながら、自分は何もできないという無力さに打ちひしがれましたね。
春になって倒壊した彼の下宿跡が更地になったのを見て、23歳で命を失った彼の無念さを思い「何かを始めなければ…」という気持ちになりました。エンジニア、あるいは研究者としての自分に何ができるのだろうかと思いを巡らし、専門を生かしてロボットを災害対応に役立てられないか研究しようと考えるようになりました。そしてレスキューロボットの研究・開発をするようになったわけです。

●「サーチ」に焦点をあてたレスキューロボットを研究

当初はレスキューロボットの研究といっても社会からの反応は鈍かったと聞いています。

松野 阪神・淡路大震災を体験した神戸大学の同僚をはじめ関西の研究者たちと「何とかしなきゃいけない」と話し合い、学会などでレスキューロボットをテーマとしたセッションを行ったりしました。しかし出席者はまばらでしたね。われわれも「何かやらきゃいけない」という使命感が先行し、はっきりとした見通しがあったわけではありません。当然「現在の技術水準でそんなことができるのか」、あるいは「裏づけがないのでは」という批判もありました。
すでに外国では軍事分野でレスキューロボットの研究が行われていたと思われます。ただ軍事という閉ざされた世界のことなので、外部の人間にはその技術がどこまで進んだものなのかはわかりませんでした。

近年、マスコミでもレスキューロボットが取り上げられるようになりました。先生たちが開発に取り組まれた当初の状況から考えると、大きな変化ですね。

松野 ロボットの開発には大変なお金がかかります。その予算がないと、ロボットの開発はできない。そこでわれわれはまず、災害が起きたときにどのような戦略で対応すれば被害が少なくできるかというシミュレーションを行うためのシミュレーターの開発に専念していました。その間も実際にロボットを開発したいと、仲間たちと幾度となく予算を申請しましたがすべて却下されました。
けっして喜ばしいことではありませんが、こうした状況が変わったのは「9・11同時多発テロ」です。ロボットが瓦礫の中で遺体を発見するというニュースが世界中に流れ、日本でもレスキューロボットが注目されるようになりました。

レスキューロボットというと、瓦礫の中をかきわけて、人間を助けるというようなイメージがありますが…。

松野 一般の方たちはそういうイメージを持たれるようですね。われわれはどのようなロボットが現場で役に立つかを知りたいと思い、レスキュー隊員をはじめ、災害救援に関係する様々な方々に意見を伺いました。その結果わかったのは「サーチ&レスキュー」という考え方です。彼らは「大切なのは被害者がどこにいるかを知るための『サーチ』であり、その後のレスキュー活動は、人力や様々な機械を使えば何とかできる」と言うのです。被害者の所在がわからず救うことができない命がある…それなら「サーチ」に焦点を当ててレスキューロボットを研究・開発し、この問題の解決に役立てられないかと思いました。
災害現場ではレスキュー隊員など人間が、救助や情報収集のために危険な場所に入り、2次倒壊で命を失うこともあります。また地震だけでなく地下鉄サリン事件などのテロや放射能漏れの現場にも人間が入らざるを得ない現状があります。こうした危険な現場での調査や情報収集を人間に代わってロボットができないだろうかと考えています。
「9・11」でレスキューロボットが注目されるようになりましたが、アメリカで開発されたロボットをそのまま日本で使うことは難しいでしょう。日本とアメリカ、あるいは他の国々とは建物の構造も違い、災害の様相も異なります。例えば日本家屋は木と土と紙でできていて、地震にはとても弱い。日本の風土や文化に見合ったレスキューロボットを開発することが大切です。

●「産学官民連携」によるレスキューシステムの構築を目指して

先生はレスキューロボットの研究・開発だけでなく総合的なレスキュー学の構築を訴えていらっしゃいますね。

松野 有効なレスキューシステムの構築にはロボットの開発という工学面からだけでなく、多角的なアプローチが必要です。医療はもちろん、心理学も被害者の心の問題を解決するためにレスキュー学の構築には欠かすことはできません。体を治療する医療、心の負担を軽減する心理学、そして物理的に障害を取り除く工学はレスキュー学の3本柱だと思いますが、その分野の専門家たちとも様々な機会に交流をしています。しかしその3本だけでは十分とはいえません。行政や政治・経済の面からもレスキューにどのようにアプローチするかを考える必要があります。また一人ひとりがどのように取り組むかも重要です。
「産学官連携」という言葉はよく聞きますが、有効なレスキューシステムの構築にはさらに「民」の理解と協力が必要です。「産学官民連携」によって初めて有効なレスキューシステムを構築できます。レスキューとは様々な方々が力を合わせ、その総合力によって有効に機能します。それが文化として日本社会に根付けば、人々は安心で安全な生活を営むことができるようになるでしょう。

先生たちが開発されたレスキューロボットは実用化に向けてどのような課題があるのでしょう。

松野 われわれが開発するロボットは一品生産なのでとても単価が高い。また現場で実際に使うためには、防塵防水の技術も取り入れなければならず、さらに費用がかさみます。大学人としてできるのは、まず原型となるものを作り、その可能性を示すことではないかと思います。
また「使いやすさ」をどのように取り入れていくかはとても重要です。われわれはエンジニアの視点からロボットを開発するので、それが使いやすいかどうかはよくわからないところがあります。そのため現場で実際に使っていただくことになるレスキュー隊員の方の意見は大変貴重です。われわれが組織するNPO国際レスキューシステム研究機構(IRS)には、「IRS-U(ユニット)」と呼ぶ組織があります。「IRS-U」には現職のレスキュー隊員の方たちがボランティアで参加し、われわれが開発したロボットを使った想定訓練を行っています。そうした方々の意見を取り入れることで、実際に役立つレスキューロボットシステムを開発していきたいと考えています。
実は新潟・中越地震の直後、IRSはレスキューロボットを現地に持ち込み、何か役立つことはないかと対策本部の方と話し合いました。災害直後の現場で実際にロボットを使うことはありませんでしたが、様々な実証実験をさせてもらいました。

●異なる世代が夢を引き継げば「サンダーバード」が実現できる

「2050年に国際救助隊サンダーバードをつくる」とおっしゃっていますが…。

松野 「サンダーバード」というのは、私が子どものころにテレビで放映された人形劇です。絶体絶命と思われる事故や災害の現場で、様々な科学技術を結集したメカを使って救助活動を行う国際救助隊の活躍を描いたものですが、私はこの番組が大好きでした。私は2050年に国際救助隊を組織し、日本から世界各地の被災地や事故現場に派遣してレスキューロボットをはじめ科学技術を駆使した救助活動を行うことができないかと考えています。「夢みたいな」という声が聞こえてきそうですが、ある時期までは人類を月に送ることも夢でした。しかし科学技術を積み重ねて、それを実現したのです。大きな目標を掲げ、それに一歩でも近づこうとする姿勢は大切なことではないでしょうか。
2050年といえば、当然私は研究の第一線から退いているし、生きているかどうかもわからない。でも私の次の世代の人々がこの構想に意義を見出し、夢を共有してくれたら、さらに実現に近づくでしょう。競君は「理想のロボットはドラえもん」と言っていました。なぜなら「ドラえもんは人間とちゃんとコミュニケーションができて、相手の心の痛みがわかり、人を癒してくれるから」と言うのです。私はこの「癒す」ということを自分なりに解釈して「命を救う」と理解しています。亡くなってしまった競君の夢をまず私が引き継ぎ、若い世代に次々と受け継がれていく。そうすれば「サンダーバード構想」も実現可能ではないでしょうか。それは平和国家日本の国際貢献としても評価されることになるのではと思うのです。

近年、若い人たちの就労意欲の低下が問題視されています。大学で学生たちと接していらっしゃるお立場からどのようにお考えでしょうか。

松野 若者の就労意欲の低下をもたらすような社会をつくったのは大人です。したがってその社会を変えるのも大人の責任ではないでしょうか。
おそらくこの問題をすぐに解決できるような特効薬はないのでしょう。私にできることは、自分はこんなふうに考えて、このように生きてきたということを若者に示すことではないかと思います。私は子どものとき、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」を読み、そして人間が月面に降り立った姿を見て夢を持ち「こんなふうにできたらいいなあ」と考えるようになりました。それを実現できるような道に進み、そして阪神・淡路大震災による競君の死によって方向転換した。そうした自分の歩みを学生に話すと「うらやましい」と言う。今の若い人たちには夢と出会い、自分の将来を思い描くという機会が失われてしまっているのかもしれません。とても残念です。漠然としたものでかまわないから、若者が自分の将来についてあれこれと空想し、夢を見ることができる社会はとても楽しいと思うのですが…。

 
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