「職業研究」2012年秋季号より

斉藤さんは、「お客様第一」を常に心がけ、地元の方々に喜ばれるパン作りにいそしんでいます。自分の店をもち、お客様の声を直に聞くことで、パン作りという仕事に対する喜びとやりがいがいっそう大きくなります。


パン職人
斉藤浩基さん

PROFILE
さいとう・ひろき●1971年東京都生まれ。付属高校から大学に進学するが、途中で調理学校に入学。調理学校卒業後、フランス料理店に勤務。パン作りが自分に合っていると考え、パン職人を目指し修業を積む。2008年6月、東京・江東に自分の店として“Vough Vough's Bread”(ヴォー ヴォーズ ブレッド)を開く。

 

 

 

 

 

 

自分が育った地元で店をもちたいと“Vough Vough's Bread”を開く。店の前は緑道になっていて、特に春は桜が見事。

 

 

店内には70品目あまりのパンが並ぶ。特に砂糖以外に蜂蜜などを使った、少し甘めの食パンの人気が高いという。

 

 

パンの生地に餡(あん)を詰める。お客様がどんな声をかけてくださるか期待しつつ、一つひとつの作業を丁寧に、そして手際よく進める。生地は前日に仕込んでおく場合が多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●さまざまなパン屋で働き修業を重ねる

調理学校のご出身ですね。もともと調理にご関心があったのですか。

斉藤 当初から調理という分野に進もうと決めていたわけではありませんが、将来は自分で技術や技能を身に着けて、何らかの仕事をしようと考えていました。私の両親は理髪店を営んでいて、その働く姿を見ながら育ったせいか、企業に就職してサラリーマンになるという考えはありませんでした。また単身赴任がいやだったというのも、サラリーマンになろうとしなかった理由の一つですね。
 大学に進んだのですが、しばらくすると、そこで学ぶことが自分の思いとかけ離れているのでは、と感じるようになりました。そうして大学生活の途中でしたが、さまざまな選択肢の中から調理学校へ進むことを選んだわけです。


調理学校を卒業後、フランス料理店で働いていらっしゃいますね。

斉藤 調理学校の研修でフランス料理店に行きました。そのとき「フランス料理っておもしろいな」と思ったんですね。ただ、実際に働いてみると帰りがとても遅くなってしまい、自分の時間がほとんどもてませんでした。これは辛かったですね。また、いらっしゃるお客様も畏まってしまうような方が多く、庶民の中で育った自分とは合わないなと感じていました。
 そうした中で、「もしパン屋なら、そうではないのでは…」と考えるようになりました。パン屋の朝は早いけれど、夜は自分の時間がもてるのではないか、お客様とも身近に接することができるのではないか…そんなふうに考えるようになったのです。そこで、パン屋でアルバイトをしながら、パン職人の修業をしようと思ったわけです。


さまざまなパン屋さんで働いていらっしゃいますね。

斉藤 中でも最初に働いたパン屋は業界でも知られたところで、工場長はパン職人の間で名の知られた方でした。私はそこでパン作りや販売について多くのことを教わりました。そのパン屋には9年あまりお世話になったのですが、途中語学研修のためオーストラリアに半年間ほど滞在しました。オーストラリアでもいろいろなパンを食べ歩きましたね。
 その後、4つのパン屋で働きました。中にはパン作りや販売の方法などがそれまでとは全く違う場合があり、戸惑うこともありました。今から考えると、それも修業の一環だったのではないかと思います。


●お客様の声が大きな励みになる

そして自分の店をもつわけですね。

斉藤 この店を開いたのは2008年の6月です。妻が「私もお店をやりたい」と背中を押してくれたので、前に踏み出すことができました。自分一人だけだったら、踏ん切りがつかなかったかもしれません。


自分のお店をもってよかったと思われるのはどんなことでしょう。

斉藤 今、およそ70品目のパンを作って販売しています。どのパンも心を込めて作ってはいますが、「本当にお客様に喜んでいただけるのだろうか」という一抹の不安もあります。何よりもうれしいのは、お客様から「おいしかった」という一言をいただいたときですね。  自分のやり方が間違っていなかったという自信にもなりますし、やりがいにもつながります。時には厳しい声をいただくこともあります。いずれにしても、お客様の声に直に接することができるというのは、とても励みになります。


パン屋さんの朝は早いと聞きますが…。

斉藤 朝は午前3時から仕事に取りかかります。4時ごろには妻が店に来て、手伝ってくれます。平日は9時、土・日は8時の開店ですので、それまでに店に焼き上がったパンを並べることができるように、手際よく作業を進めなければなりません。


お仕事をするうえで、どんなことを心がけていらっしゃいますか。

斉藤 それは何といっても、お客様に不快な思いをさせない、ということです。パンの味だけでなく、接客や会話にも十分な注意を払うようにしています。これは私たち夫婦が心がけるのはもちろんのこと、店を手伝ってくれるアルバイトの人たちにも、同じことを求めています。


パンの味を保つために、どんな工夫をしていらっしゃるのでしょうか。

斉藤 パンは時間が経つにつれ、水分が蒸発して硬くなってしまい、味が損なわれます。私はできるだけ長く本来のおいしさを味わっていただこうと、水分を多めにしてパン生地を作っています。また焼くときも、できるだけ水分が保たれるように工夫しています。こうすることで焼き上がりではなくとも、モチモチ感のあるパンをお客様にご提供できます。


●失敗が許されないパン作りという仕事

お仕事の厳しさやご苦労はどんなところにありますか。

斉藤 パンは焼き上がるまで、早いものでも1時間半はかかります。食パンなどは4時間くらいかかります。これだけ長く時間がかかるため、前もって作り始めないと、手際よくお客様にご提供できません。このことは、注文を受けてから料理を作り始める多くの飲食店と大きく違います。かといって、作り過ぎると、朝焼いたパンを夕方まで売ることになったり、売れ残ったりしてしまいます。
 こうしたことを避けるために、その日の天候や気温などを考慮しながら、どれだけのお客様が来店してくださるかを予想しなければなりません。最近は天候の急変が多く、大変です。また近年は夏の猛暑が多く、冷たい麺類などを食べたくなるという傾向があり、売り上げに影響してきますね。
 パンを作るときは、いろいろな材料を配合しますが、その計量には十分注意をしなければなりません。配合の割合を間違えたら取り返しがつきません。パン作りは失敗が許されない仕事といえるでしょう。


休みの日にはパンの食べ歩きをしていらっしゃるとか。

斉藤 最近はいろいろなパン屋さんがあり、パン職人は腕によりをかけて作ったパンを店頭に並べています。そうしたパンを見ているだけでも楽しくなります。また、食べてみるとさまざまな発見があり、勉強になります。他店のパンを食べ歩くことで、新商品の開発にも役立ちます。


近年、若者の職業意識の希薄化が指摘されています。どのようにお考えでしょうか。

斉藤 確かにそうした傾向があると思います。この店を運営していくうえで、課題の一つがアルバイトの確保でした。今、働いている人は一生懸命やってくれていますが、かつては採用してもなかなか定着しませんでした。アルバイトといっても仕事の質を落とし、お客様に不快な思いをさせてしまうことは許されません。そんな思いから私が厳しく指導するせいか、いったん採用したアルバイトもすぐに辞めてしまい、たいへん困りました。こちらは一人前に育てたいと考えて接していたのですが…。
 近年は、インターネットなど仕事を探すさまざまな手段があります。また、テレビゲームなど実際の生活を忘れ、のめり込んでしまう遊びもあります。それだけに仕事に対する向き合い方に、ある種の気楽さがあるように思えてなりません。

 
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