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Vol.18-1

『職業研究』2011年春季号より

キャリアカウンセリングの様々な現場で活躍される方々によるリレーコラム。

ときには背中を押すことも

伊東眞行氏 画像

ライフデザイン・カウンセリングルーム
(臨床心理士、2級キャリアコンサルティング技能士) 

伊東眞行

 私は公的機関での心理職として、キャリアカウンセリングを経験したのち、心理相談・キャリア相談を行う民間のカウンセリングルームを開設し、10年になります。また大学や少年鑑別所・福祉事務所でのキャリアカウンセリングも経験してきました。
 今回から4回、さまざまな現場でのキャリアカウンセリングの事例をご紹介します。

大学生の事例から

 A君は文科系学部の4回生。4月に大学のキャリア相談室を訪れました。これまで授業を休まず、3回生までに単位をほとんど取得。理由は、授業を1回でも欠席するとわからなくなるのではと不安になるとのことでした。しかし、アルバイトやサークル活動の経験が全くないため、いざ就職活動をする時期になっても、エントリーシートに“大学時代頑張ったこと”や“自己PR”が書けず、就職活動をする自信がありません。一応、会社説明会には数社行きましたが、義務的な感じで行っただけでした。
 まわりを見ると、内定をもらっている学生も増えてきたので焦りはするものの、就職活動への意欲がわいてこないと言います。

 A君は相談室には時間通りにきっちり訪れるまじめな学生です。話もスムーズにできるので、一見問題はないように見えるのですが、失敗することへの不安が人一倍強く、行動が慎重になりすぎるようでした。A君は、高校時代にはサークル活動もしていましたが、3年生になって部長を任され、それがうまくできなかったので逃げるようにして退部。そのことで自信を失い、何事にも慎重すぎるようになったとのことでした。A君のように就職活動のできない大学生はそれほど珍しいわけではなく、卒業時に進学も就職もせず行き先の決まらない大学生は毎年相当数にのぼります(学校基本調査によれば、平成22年3月時点で16・1%)。
 この中には、長期間のフリーターやニートになっていく人たちもいます。A君は、レールを敷けばきわめてまじめにその上を走れるのに、レールがないと立ち往生してしまうようです。そして、与えられた勉強以外の自発的なさまざまな体験が決定的に不足しているのです。
 カウンセラーが「何でもよいから体験することが大切」と助言したところ、夏休みに自動車教習所にきっちり通い、短期間で免許を取得してしまいます。年末年始の郵便局と宅配便のアルバイトを勧めたところ、1カ月間の契約期間、1日も休まずまじめに勤務しました。しかし、契約期間が終わるとまた引きこもりがちな生活に戻ってしまいました。その後、卒業はしたもののアルバイトもしなくなり、ニート状態になってしまいました。

 カウンセラーは見かねて、一緒にアルバイトを探すことにしました。しかし、できそうなアルバイト求人が見つかっても行動をおこせません。そこで相談に来たときに、携帯電話で面接アポイントを取らせました。すると電話の応対はスムーズで面接もうまくいき、ほどなくアルバイト採用が決まりました。その後アルバイト(出荷発送係)はまじめにきちんと勤務し、1年半が経過しました。その間、他のアルバイターの出入りは頻繁で、今や職場では古いほうから2番目にまでなりました。後輩アルバイターに指図する役割も任され、徐々に自信を持てるようになり、会社から正社員にならないかと勧められるまでになりました。

 A君のように、大学時代に課外活動を一切せず、授業だけ出ていたという学生の中には、自分で考えて行動する、あるいは他者と協力して物事をなし遂げるといった、自発的・探索的な体験の不足がよく見られます。このような体験は、キャリア発達のうえできわめて重要です。この体験が不足すると一歩前に踏み出せず、自らキャリアを確立していくという、次の段階への移行が遅れてしまうことがあります。A君は卒業後に探索的な体験を積むことで、遅ればせながら就職できました。
 A君はレールがなくなると腰が重くなり、なかなか自力で動きだせませんでした。このような自発性の乏しいタイプの場合、方向性が見えてきたら、あえて「背中を押す」ような働きかけが有効な場合があります。
 カウンセリングでは「傾聴」が強調されがちですが、キャリアカウンセリングでは、相手の状態を見ながら、押したり引いたりして目標達成に向けて進めていくという側面もあります。