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Vol.20-1

『職業研究』2013年夏季号より

キャリアカウンセリングの様々な現場で活躍される方々によるリレーコラム。

クライエントから学んだ信じる力

鷲見典彦氏 画像

さぬき若者サポートステーション
総括コーディネーター
2級キャリア・コンサルティング技能士

鷲見典彦

 私は、委託訓練校のキャリア・コンサルタントとして求職者の就職支援に就いた後、平成20年に開所した「さぬき若者サポートステーション」でニート状態にある若者の職業的自立支援を行っています。若年者向けキャリア・コンサルティング現場における私のミッションは、「若年者を安定的就業に導くために、働く意義の理解を進めることにより就業意欲を喚起し、職業生活設計とそれを踏まえた職業選択を自己決定できるよう支援すること」です。 大変難しいミッションですが、若者からとても多くのことを学ばせていただいています。その中で、特に印象深い事例を、個人情報に配慮してご紹介したいと思います。

支援に至るまで

 A君は、小学校の時、両親が離婚し、父親・祖父母と暮らしてきました。あることがきっかけで高校1年から不登校となり、1年留年した後、高校を退学しました。その後、父親とも断絶し、引きこもり状態になっていました。父親の支援を県教育センターが実施し、A君の支援を高校の先生が実施してきました。
 「自分の10年先を考えたら吐きそうになる」というA君の言葉から、自立に向けた意欲の発端を敏感に察知した高校の先生が、本人の了解を得て、さぬき若者サポートステーションに支援の要請をされました。高校・教育センター・さぬき若者サポートステーションで支援チームを作り、経緯の確認と役割分担を決め、自宅へのアウトリーチを開始しました。

支援の経緯

 初回は、A君と一番信頼関係のある高校の先生と同行し、自宅を訪問しました。「感情はどうか?」「誤った認知をしていないか?」「行動はできているか?」の3点に絞り、見立てていきました。A君の表情は硬く、自尊感情の喪失と「できない」という認知で動けない状態でした。唯一、反応が見られたのが、以前取り組んで挫折したギターでした。私はアプローチをギターに設定しました。「スーパー理論」におけるライフ・キャリア・レインボーの中の「余暇」のライフロールに取り組むことで、「学生」「職業人」への意欲が喚起されることを期待しました。
 それ以降、自宅への訪問ではA君と二人三脚で、ギター練習に取り組みました。A君の父親と祖父母には、ギター練習に取り組むねらいを説明し、家庭での協力をお願いしました。初めは順調にいっていましたが、すぐに壁にぶつかりました。以前挫折したコードチェンジができないのです。「絶対無理」と言い、立ち止まってしまいます。例外を探すことにしました。
 「今までに、できないと思ってたのにできたことない?」と聞くと、自動車学校でできなかった運転操作が、10回目を超えたくらいからできるようになったことに気づきました。「できない」という認知が「できるかもしれない」に変わったようでした。A君は、挫折したコードチェンジに挑戦することになりました。A君と二人の練習が続き、1カ月目に、遂に課題曲が完成しました。その頃のA君は表情も豊かになり、自信も取り戻し、「できない」という認知からも解放されていました。そして自然と行動に移っていきました。感情・認知へのアプローチが行動の変化を生んだようです。
 アルバイト経験がなかったA君が、アルバイトをすると言い出しました。アルバイトをして通信制の高校に再入学することが、次の目標になりました。ジョブトレーニングに参加し、そのままアルバイトに移行しました。アルバイト先の評価も良く、順調に進んでいるように見えました。しかし、2カ月目に入った頃にアルバイトに行けなくなってしまったのです。
 私は、アルバイト先とA君の調整を行い、突然立ち止まってしまったA君のフォローをしながら約1カ月が経過しました。支援計画を練り直し、次のアプローチに入ろうとしていた頃、高校の先生から連絡が入りました。A君が、断絶していた父親と一緒に通信制高校の入学説明を聞きに行ったというのです。嬉しかった反面、私は驚きました。そして、私自身のことに気づきました。A君の成長、適応へ向かう欲求を本当に信じていたかということに。 A君は目標どおり通信制高校に入学し、再出発をしています。A君からは本当に大切なことを学ばせていただきました。私はキャリア・コンサルタントとしての自分を見直し、再び原点に返って、次の若者の自立支援に取り組んでいます。