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Vol.22-4

『職業研究』2016年No.2より

キャリアカウンセリングの様々な現場で活躍される方々によるリレーコラム。

今の「働き方」でいいんですか

八巻甲一氏 画像

株式会社 日本・精神技術研究所
心理臨床・教育事業部
キャリア開発カウンセラー

八巻甲一

 私はこの連載で「(自分にとっての)内的キャリアの自覚とそれが働くことにどういう意味や意義があるのかを見出すことは、人生を豊かにすることにつながる」と書いてきた。別の言葉で言えば「働いて生きていくうえで自分にとってとても大切なもの、価値のあるもの」を大事にしようというシンプルなことに過ぎない。コラムの担当を終えるに当たっては、何をするかではなくどう働くかという「働き方」をあらためて考えてみたい。
 今春、ウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が来日し、彼の言動や考え方がメディアでも取り上げられたので興味を持たれた方もいたと思う。ご存知のように彼を一躍有名にしたのは2012年に国連主催で行われた「持続可能な開発会議(通称、リオ会議)」でのスピーチである。彼はそのスピーチの中で「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と訴え、今の消費主義社会を批判し世界に大きな反響を呼んだ。彼のスピーチの波紋がそれほどまでに大きかったのは、私たちが当たり前のこととして考えている「豊かさ」へのアンチテーゼであったからであろう。
 私たちは暮らしを豊かにするためにと考え、少しでも多くの収入を得ようとして頑張る。また、そのことに疑義を抱くことも少ない。しかし、この多くの人にとって当たり前のこのことを、深く考えることもなく私たちは突っ走ってきた。なぜなら近代社会が目指してきたものがそれだったからである。その見返りが福島第一原発の事故だと私は思うが、決して言い過ぎではないだろう。私たちは、今こそ真剣に働き方(それは取りも直さず「生き方」でもあるが)を考え直す時代に直面しているのではないだろうか。

 Dさんは大手の流通関係の会社に主任として勤める30代半ばの2児の母親である。Dさんの相談内容は「仕事と家庭を両立したい。だけど、子育てをしながら管理職として活躍するモデルが(Dさんの周囲には)いないので、この先どう考えていけばいいかわからないので不安です」という悩みであった。1985年の男女雇用機会均等法の制定は女性の社会進出のきっかけになり、1997年の改正でさらにそれは弾みとなった。雇用機会に性差別をなくすことは喜ばしいことだし、こうした取り組みが遅かった日本は、制度的にはやっと欧米に肩を並べたと言える。こうして、大企業を中心に女性が男性と同等に働く姿は珍しくなくなり、その中で管理職に登用される女性も徐々にだが確実に増えてきている。Dさんもそうした中の一人である。
 しかし、ここに来てこうした家庭を持って働く女性の相談に一つの傾向があることに気づかされる。それが今回Dさんの悩みである仕事と家庭の両立の困難さである。今の立場で働き続けたいから残業や出張も立場上それを拒否できないし、成果も上げられなくなるといい、周囲を見ても成果を出す人はそうやって頑張って昇進しているという。日本の多くの企業では、職位が上がることと労働時間の増加は正比例する。本音はともかく部下より先に退社できないというのが実情だ。下の子がまだ3歳のDさんは、これ以上会社での時間を増やしたくないのも正直な想いである。まさにワークライフバランスがDさんのテーマと言える。私は思い切って「昇進を諦めることは無理なんですか」と尋ねてみた。「昇進は諦めたくない。だって、今まで何のために頑張ってきたのかと思うんです」という。男性と競争するように仕事を頑張ってきたDさんのこれまでの努力を思えば、母親としての時間を大切にしたい一方、そう簡単に昇進を断念できることではないとその気持ちも理解できる。
 厚生労働省は「長時間労働の削減」に長く取り組んできているが、一向に改善の兆しが見えない。安倍政権は先ごろ「36協定」の見直しを検討すると発表したが、近い将来長時間労働が削減されるとはとても思えない。誰もが長時間労働がなくなればいいと思いながらそうならない(そうできない)背景があるからだ。

 Dさんに話を戻そう。Dさんにとって男性と同等に働くということはどういう価値があるのだろう。それは人生を豊かにすることとどう関連しているのだろう。長時間労働がなくならない中で、もし、仕事と家事の両立を目指すのではなく、今の働き方自体を問題にできるなら、また、そうした視点で生き方を考えてみることができるなら、出口は違って見えてくるように思う。女性の社会進出が進んでいる欧米では、昇進を拒否して自分の幸せを求めるエリート女性も現れてきているという。これは一人Dさんの問題ではなく、また、女性だけの問題でもなく、働く人にとっての共通した豊かさとは何かを考えるテーマではないだろうか。ムヒカ元大統領の提言が意味することは他人事ではないのである。

※引用文献
「世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉」佐藤美由紀著、双葉社、2015年
「なぜ女は昇進を拒むのか」スーザン・ピンカー著(幾島幸子・古賀祥子訳)、早川書房、2009年