2024.01.10
若者のこころ考現学 (第4回)
大切な影、おかげさまの精神
~影を尊重しない競争社会、よい子の暴発事件を考える~
臨床心理士/公認心理師金屋光彦
1光と影
陽光は明るいほど、その影はいっそう暗くなる。また、物体は影を伴って、はじめて立体的に立ち現れる。
19世紀のドイツで書かれた『影をなくした男』(シャミッソー著)は、影を失うことで不幸を味わう青年の物語である。当時大きな反響を呼び、その後各国で翻訳出版された。
ユングは心の影を、「自らが受け入れがたい負の心的内容」とし、普遍的無意識の一つと定義した。具体的には、弱み、嫉妬、怒り、しくじり、卑俗さ等を指す。この心の影とどう向き合うか、それによって人生の明暗が決定する。
自らの影を上手に取り込めれば、人格の奥行きが増し、個性化が進む。一方、影に翻弄されると、多くの不幸を招く。
2 危機的状況で影の取り込みに失敗した事件
2021年10月末日、東京の京王線電車内で乗客17人が重軽傷を負った無差別刺傷事件が起こった。犯人の服部恭太(当時24歳)は「大量殺人を計画し、自分も死刑になりたかった」と動機を語った。凶悪事件を犯した彼だが、育った福岡市の地元では、よい子との評判だった。
息子が彼と小中学校で同級生だった母親は、「事件が信じられない。両手いっぱい買い物袋を抱えた私に“持ちましょうか”と言ってくれた、元々は穏やかで心優しい子。何があったか知りたい」。地元記者も「出てくるのは、みな“いい子だった。事件を起こしたなんて信じられない”の証言ばかり」と語る。
彼は犯行3カ月前に「初めて認められた職場」だった会社をトラブルで退職。また、8年間交際し心の支えだった女性とも別れていた。愛する人の喪失に加え、居場所だった職場も失った服部被告は、人生の危機に遭遇していたといえる。
3 影を失い、追い込まれる子どもたち
カウンセリングも、自分の影を人格の中へ統合しようとする営みである。
特に人生の危機の時が、影と向き合う好機となる。その影をうまく内面化できれば、人格の奥行きが増し成長できる。一方、影の取り込みに失敗すると、他者への投影が起こる。受け入れがたい自らの性質を、他者へ投げ入れるのだ。集団では、ナチスによるユダヤ人迫害がその典型といえる。
学校では、異質で同調しない子が狙われる。例えば課題をやってこない生徒。一人親のヤングケアラーである生徒の場合、幼い弟妹の世話やバイト等で忙しく、課題をやる余裕がない。しかし、その事情は考慮されず、クラスの同質性を脅かす者として批判され、いじめの標的にされることも多い。
このいじめ認知件数は、10年前の約18万件から、約68万件(文科省2022)と3倍以上に増えた。さらに小中高生の自殺者数も、514人(厚労省2022)と過去最高である。
なぜ、これ程子ども達は不安とストレスにまみれているのか? その一因には、大人の側が、子どもに“よい子”の面だけを求めすぎていることにあると思う。
よい子以外の性質を認めないならば、子どもは親や教師に見捨てられないために、よい子以外の面は無意識に押し込めてしまう。その蓄積された不満のマグマは、他者へ投影されるか、自我が目覚める思春期以降の危機的状況で噴出する。その一端が、凶悪犯罪である。
「親には迷惑かけられない」と最近よく子ども達は口にする。親も教師もタフな職場で日々疲弊し、余裕がない。そんな大人を見て、甘えずに我慢する子ども達。子育てには心の余裕が必要だが、子どもも大人も追い詰められているのが現状だ。
4 影を失った背景とおかげさまの日本精神
今は、目に見える成果が重視される競争社会。非効率的であいまいな負の面は排除され、「0か1か」の単一で平板な社会になっている。いわば、影を失っているともいえよう。
その原因の背景には、人智を超える大いなるものへの畏敬と、自分の命が見知らぬ他者や自然によって生かされている感覚の喪失があるのではないだろうか?
日本社会には古くから、“おかげさま(御陰様)”の精神が息づいてきた。自然豊かで災害も多い日本は、森羅万象に神が宿ると信じ、畏怖と感謝の思いを抱いてきた。
また、ご飯が食べられるのは、農業を営む人はじめ作物を運ぶ運送業の人、そして売ってくれるお店の人等、知らない多くの働く人たちの御陰である。
この大いなる自然の深遠さと不可思議さや、目に見えない無数の他者との繋がりといった尊いものがこの世には存在すること、それらの精神を忘れた社会になっているのではないだろうか?
最初に触れた『影をなくした男』の物語は、主人公シュレミールの次の象徴的な言葉で終わるのである。
「よりよき自己に即して生きようとしている君は、人間社会に生きている。ならば、第一に影を尊重してください。お金はその次でいいのです」